『七海メンタルを学ぶ(12):沈黙の重要性』

 

 

今回はプロゴルファーを目指す研修生七海(※)がその心の師である和尚「沈黙の重要性」というテーマでメンタルに取り組んでいるところにお邪魔して一緒に学ばせてもらいましょう。

※ 七海は女子プロゴルフのプロテスト突破を目指す18歳の研修生。技術だけでなく、自分の能力を発揮し切るための「メンタル」の重要性に気づき、2017年夏から和尚の指導を受けはじめた。

 

 

 

七海:

和尚、こんにちは。

 

今日も「メンタル法話」をよろしくお願い致します。

 

今日は質問があるので最初に質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?

 

 

 

和尚:

七海、こんにちは。

 

質問ね・・・いいね。

 

どうぞ、どうぞ。

 

 

 

七海:

質問というのはですね、先日、家にいた時にふと次のようなことが浮かんできたんですよ。

それで次の機会に是非和尚に聞いてみようと思ったわけです。

 

 

「和尚はいつお伺いしても穏やかで落ち着いていて『心』のことについてはなんでも知っていらっしゃるように見えるし、本当にうらやましいなぁ〜。和尚は今でもメンタルのことを学び続けているのかしら?」

 

 

・・・と。

 

和尚、そのあたりはどうなのでしょうか?

 

 

 

 

和尚:

そうか。

 

そういうことを聞きたかったんだね。

 

そうだなぁ〜。

 

七海からみれば私はもう七海に話していることは卒業していると思うかもしれないけれど、

 

 

修業に終わりなし

 

 

で、今この一瞬も修業中というところが本当のところだよ。

 

 

ホラ、ゴルフだって上のレベルに上がったら、また上のレベルがあって、そのまた上があって・・・とキリがないでしょ? 

 

「ここまで上がったから征服した」

 

というものはないと思うんだ。

 

 

メンタルに関することでも同じで、「ああ、以前だったら怒っていたなというところを穏やかに切り抜けられるようになったし、多くのことをゆるすことが出来るようになった。もうずいぶんと穏やかになった」となっても、「またその上」があるんだ。

 

だから、私も七海と瞬間瞬間学び続けているんだよ。

 

楽しいね😄、学びって。

 

 

七海にしてみれば「和尚は出来上がっていて、その知っていることを私に教えてくれているんだわ」と思っているかもしれないけれど、このメンタル法話の時間、七海が私の師匠になっていることも多いんだ。

 

七海は気づかないかもしれないけれどね😉

 

確かに私はメンタルのことを教わって生活に取り入れる前の自分に比べて今のほうが断然「心安らか」「平和」でいる時間が増えたことは確かだね。私の実感ではネ。

 

だから、七海もこのペースで学んでいけばいいよ。

 

人には「ちょうどいいペース」と「ちょうどいい時期」というものがあるんだよ。

 

前にも言ったけれど、七海が将来ゴルフの試合に出場し、ゴルフを通じて七海の本質を表現しようとするにあたって「技術だけではダメ」、「その技術を減点なく発揮できるメンタルも必要!」と思った時点で、発心(ほっしん)してメンタルの門をくぐったんだ。

 

それが七海にとっての「ちょうどいい時期」だったというわけだ。

 

これから見ていてごらん。

 

「技術を磨くことのみ」での限界に気づいて技術と同じくらい、いや、それ以上に時間とエネルギーをメンタルにつぎ込んでくるゴルフ選手が増えてくるから。

 

 

ホラ、2005年頃だったかな?

 

今年引退を発表した「藍ちゃん」がそれまでは「ある程度経験を積んだプロじゃないと勝てない」と言われていたプロのトーナメントを10代のアマチュアで優勝してから、「それなら私も」と大勢の若手が藍ちゃんに続いて出て来たじゃない?

 

「藍ちゃんが価値観を壊した」ということだよね。

 

それと同じように一人の選手が、小手先のメンタルではなく、七海の学んでいるようなメンタルを学んで成績を上げ始めると、「私も私も」とどんどん後に選手が続いて、「筋トレ」や「体のメンテナンス」が当たり前になったように「メンタルの学び」も当たり前になってくるよ。

 

見ていてごらん。

 

これからの時代は特に「メンタルのウェイトが重視される」からね。

 

 

ああ、いけない😰 また私の悪い癖が出た😰😰 

 

七海の質問に答えていたのに、最後は私の話になっちゃっていたネ。

 

七海の聞きたいことには答えていたかな?

 

 

 

七海:

はい、十分に。

 

和尚でもまだ学んでいるんですね。

 

私なんかが和尚の師匠というのはピンと来ませんが、そうなんですね。

 

 

 

和尚:

おお、そうだよ。ウソじゃない。

 

 

さて、それでは今回の話に入っていきますかね。

 

今回は

 

 

「沈黙の重要性」

 

 

というテーマで七海に話をしたいと思うんだ。

 

「沈黙」というと七海はどういうことを思い出すかな?

 

 

 

七海:

「沈黙」・・・ですか?

 

「何も動きがない」「停滞」「気まずさ」

 

といったところかな?

 

 

 

 

 

和尚:

「気まずさ」ネ😉・・・二人でいる時に会話が切れて話題がなくなってしまった時の沈黙だね。

 

七海、私の予想外のものを出してきたね。

 

「気まずい沈黙」のことを海外では「今、二人の間を悪魔が通った」なんて表現するところもあるよ。

 

 

 

七海:

へえ〜、「悪魔が通る」・・・まさにその時にピッタリの表現ですね。

 

 

 

和尚:

大方の人にとってはこの「沈黙」というのは「動きがない」「非活動的」「非生産的」などといったイメージがあるんだね。

 

私が精神のことを学び始める前と後ではその意味合いが私の中でガラッとひっくり返ったことがいくつかあるんあけれど、「沈黙」はそのひとつだったんだ。

 

 

「黙ってたんじゃ、何も変わらないよ」

 

 

とか

 

 

「黙ってたんじゃ、何もわかりませんよ」

 

 

という言葉を言う人がいるよね。

 

 

そうした言葉からしても「沈黙」ということは「前向きでないこと」として使われていることがうかがえるよね。

 

そうした私の「沈黙」に対する固定観念を打ち破ってくれたのはインドのとあるお爺さんの言葉なんだ。

 

こんなことをおっしゃっていてね。

 

ああ七海、お爺さんのお話は一言一句お爺さんの言った通りではないこと、違う時にお話になられた「沈黙」についての話を私がご紹介しているということを承知した上で聴いてね。

 

 

【お爺さんの話】

 

「沈黙」の有効性、その本来の持ち味については多くの人が知らない。

 

「沈黙」というのは真実のところ「一番の雄弁」であり、「言葉」というのはその「雄弁」を遮(さえぎ)るものにしか過ぎない。

 

 

 

七海:

へ〜。

 

私が思っていた「沈黙」の存在とはまるで逆ですね。

 

「沈黙」「雄弁」

 

今、私はおそらく和尚が最初にビックリ仰天されたときと同じ状態です。

 

 

 

和尚:

わかるよ😊

 

だって、そういうものとして「沈黙」を教わらないじゃない・・・ねぇ。

 

 

 

七海:

そうですね。私も18年生きてきて今はじめて知ったんですもの。

 

 

 

和尚:

そういうなら、私は40代になってからだよ😅

 

でもさ、そういうようにあらためて私たちのふだん抱いている「沈黙」のイメージと逆なことを言われるとビックリはするけれど、日頃私たちは「沈黙」のそういった力を体験しているんだ。

 

たとえばね、私たちはよほど体調が悪いときは「静かに休んでいる」でしょ?

 

そして休んでいると回復してくるね。

 

野生動物なんかも怪我をしたりしているとジーっと静かにしている。

 

みんな「沈黙」が回復させているとも言えるね。

 

何よりもわかりやすい例はどんなに疲れていても、ぐっすり寝ると疲労回復するよね。

 

ぐっすり寝るということはその間は「沈黙」してるってことだよ。

 

それに反して、疲れているときに夢を見たりして「沈黙」しきれないときは疲れが取れないよね。

 

また、何か良い考えを浮かばせるときも「沈黙」した環境を求めるよね。

 

そういうことからお爺さんの言葉が真実で、ふだん私たちが抱いている「何も生まない」というイメージが誤っているということがわかるんだ。

 

 

 

七海:

なるほどね~。

 

「沈黙」・・・今まで暇でポツンと一人静かになると、

 

「何かしないと・・・え〜と、何があるかな」な〜んて、その「悪魔が通る😄沈黙」から脱出しようとしていましたが、そういう「沈黙」の本当の性質を知ると「そこに居(い)たまま」にすることもオオアリですね❗

 

あっ、和尚、ティータイム🍵ですね。

 

私お茶を入れてきます。

 

 

 

 

 

 

 

和尚:

では続きと行こうか・・・。

 

「沈黙」に入ることを私は

 

「天の乳(ちち)を飲む」

 

と自分では表現しているんだ。

 

 

 

七海:

「天の乳を飲む?」・・・ですか?

 

 

 

和尚:

そう。

 

赤ちゃんがお母さんから母乳をもらって生命力を得るように、私は「沈黙」を通して天からエネルギーをいただくという意味で、そう言ってるんだ。

 

人によってはこの天からのエネルギーだけで生きている人さえいるんだよ。

 

 

 

七海:

えっ? そうなんですか?

 

・・・ということは食べないということですか?

 

 

 

和尚:

そういうこと。

 

「不食」ということだね。

 

 

 

七海:

😱😱😱

 

そんな人が現実にいるんですか?

 

でも、食べなければ餓死しちゃいますよ。

 

 

 

和尚:

普通は確かにそうだね😄

 

もちろん、そうなるには精神的にいろいろなところを経ないと出来ないし、いきなり、そういうことをすると健康を損なって非常に危険なので素人が自分でやるのは絶対に駄目🙅よ。

 

今回は七海に「沈黙」の力を教えるための一つの材料として「不食」ということさえあるということをご紹介しているので、そこのところは忘れないでよ。

 

「強いプロゴルファーになるには『不食』にならないといけない」ということを言っているわけではないからネ。

 

「不食」の人は何も遠い外国の山奥とかに住んでいるんではなくって、ぼくらに比較的近いところにも存在しているんだよ。

 

そういう一人を紹介しておくね。

 

秋山佳胤(よしたね)さんだ。

 

知的財産の方の弁護士さんでコーヒーの焙煎士の資格もお持ちの方なんだよ。

 

この本を読んでごらん。

 

 

 

 

私はね、自分で調べてきて薄々「ある道があって、これからはその道になっていくんじゃないかな?」と思っていたのね。

 

そしてこの秋山さんのような考え方があると知ってその「ある道」についてさらに自信を深めたのだけれど、七海がプロとして試合に出る頃、あるいは出てしばらくするとゴルフ界でも試合相手に対して秋山さんがおっしゃるようなスタンスで向き合って成績を出してくる選手が増えてくると見ているんだ。

 

七海にも「時代は変わってくるよ」とか七海は新しい時代の選手だよ」ということを度々言っているね。

 

今までの考え方で相手に対して成果を上げるのではなく、別な道で成果を上げるということだね。

 

昔から「心技体」と言われるけれど、「三つが一体になって働く構図」は変わらないけれど、「心」、つまり「メンタル」が軸になって「心技体」がうまく転がって成果を出すスタイルになってくると私は見ているんだよ。

 

だからこそ、そういう点に意識的か無意識的かはわからないけれど眼をつけて私の門を叩いてくれた七海には「おっ!! とうとう来たか」という驚きと嬉しさがあるんだ。

 

「やはり、若い選手がそういうところに眼👀をつけてきたな」

 

とね。

 

まあ、メンタル法話の自宅学習ということで秋山さんのこの本を読んでみてよ。

 

 

 

七海:

はい、読んでみます。

 

弁護士さんって検事さんと争うイメージがありますが、争わないで、しかも依頼者のニーズに応える弁護士さんの考え方ってどういうものなんでしょう。

 

今から楽しみです。

 

 

 

和尚:

さあ、それでは今日もずいぶんと長い間学んできたので、あと少しにすることにしよう。

 

これから話すことは一応知っておけば良いことで、あまり引っかかってしまうとかえってメンタルの進化にはマイナスになるから気をつけて欲しいんだけれど、「沈黙」しているときにはね「何も起きていない」のではなくて「元から『在る』もの」が働くんだ。

 

前回、七海に「人を超えたものを発揮できないと超一流にはなれない」・・・「神業」と人が言うものだよね・・・みたいなことを話したと思うんだけど、まさに精神が「沈黙」の状態にある時にその「超人」の働きが現れるんだ。

 

弓の名人だった阿波研造

 

 

「自分が射るのではなく『それ』が射る」

 

 

という内容の言葉を残しているよ。

 

私が知る限り、ゴルフの選手で知っていて阿波研造の言う「それ」を求めてゴルフに取り組んだ人はいないんじゃないかなと思っている。知らず知らずのうちにその境地に達して結果的にボールを狙い通りに運んでいた人はいたとは思うけどね。

 

たとえばゴルフ寺子屋で紹介されているボビー・ジョーンズがそうだ。

 

 

『ゴルフに役立つ名言(5)』

    「心に一物(いちもつ)もないとき、           ベストなスウィングになる」                        球聖 ボビ…

 

 

メンタルに取り組むということは「『それ』に向かって進んで『それ』を発見する」ということだから、まさに今までにないゴルフへのアプローチの仕方なんだ。

 

でも、もう一度念を押しておくけど、「『それ』を得よう」なんて思っちゃ絶対にダメだよ。「それ」が逃げていくから😄

 

そういうことを知っておきながらも求めずに、このまま一歩一歩メンタルの世界を歩んでいけばいいよ。

 

徐々に「それ」に近づいて、ある日、七海は「それ」と面会するから。

 

「ナンノコッチャ??」って感じでしょ?

 

 

七海:

はい、「ナンノコッチャ??」という感じです😅

 

でも、「沈黙」は今まで私が考えていたような「無力」な存在ではなく、とてもパワフルな存在なんだという方向に「沈黙」ということの舵(かじ)を切ることができそうです。

 

 

 

和尚:

そう? それならそれで今回の法話は意味があったというものだよ。

 

「多くの方が考える『自分』とい考えているものが働いていない時に『それ』が現れる」

 

んだね。

 

その状態の時に『自分』からしてみると自分が働いていないので「沈黙」と感じるということだ。

 

まあ、このあたりは理屈を立ててはマイナスなところなので、今回はココまでとしよう。

 

七海、お疲れさん。

 

気をつけてお帰り👋

 

 

 

今回もお読みいただきまして有難うございました😄

また一緒に楽しみましょう!!