『七海メンタルを学ぶ(4):「自由」について』
今回はプロゴルファーを目指す研修生七海(※)が和尚と「自由」というテーマでメンタルに取り組んでいるところにお邪魔して一緒に学ばせてもらいましょう。
※ 七海は女子プロゴルフのプロテスト突破を目指す18歳の研修生。技術だけでなく、自分の能力を発揮し切るための「メンタル」の重要性に気づき、2017年夏から和尚の指導を受けはじめた。
七海:
和尚、こんにちは。
今日もよろしくお願いします。
和尚:
よぉ〜✋ 元気だったかな?
今日もしっかり学んで行こう!
七海:
はい、お願いします。
今回は前回(※)和尚お約束の「自由」についての講義ですよね?
※ 前の話はこちらになります。
『七海メンタルを学ぶ(3):「観察による変化」について』
今回はプロゴルファーを目指す研修生七海(※)が和尚と「観察による変化」というテーマでメンタルに取り組んでいるところにお邪魔して一緒に学ばせ…
和尚:
そうだったね。
今回は「自由」ということについて一緒に学んで行こう!
前回の話では
ゴルフにとってもマイナスなイライラ💢した「心」があっても、そのイライラ💢から「自由」でさえあれば行動に影響を及ぼさない
ということが一つの大事なポイントだったよね。
七海:
そうでした。
前回のことを知る前の私は
イライラした「心」が出てきてはいけない❎
と思っていたし、だからこそ、
そのイライラした心を「無くそう、無くそう」
としていました。
むしろ、
そうした心を無くすためにメンタルの修行が必要なのじゃないのかしら
とさえ思っていたほどです。
・・・ですが、前回の講義で和尚から
とりあえず、「イライラ心💢」があったままでいいから😃、それから「自由」にさえなっていればいい
ということを教わったので、ずいぶんと楽になりました。
和尚:
それなら良かった。
その心から「自由」になる
だけでその心の影響を受けることなく行動できる、あるいはその影響を最小限にとどめることができるということだったね。
七海:
和尚、一つ質問があるんですが、よろしいですか?
和尚:
ああ、いいよ。どうぞ。
七海:
そうするとですね、
メンタルの学びをしていっても「イライラ心💢」自体は消えることはない
ということですか?
和尚:
いいや、消えて行くよ。
だんだん、だんだん、少しずつ少しずつね🐌
七海:
消えて行くんですか?
そうすると、将来的には「イライラ心💢」から自由になるだけでなく、その「イライラ心💢」も消えていくと・・・。
和尚:
うん、そうだね。
イライラする心とか、その他のネガティブな心もみんな無くなっていくよ。
だけどね七海、前にも言った通り、心のカラクリというのはとても複雑に巧妙に出来ているんだ。
「消えるかな? 消えるかな? どうだろう? そろそろ無心になれるかな?」という期待
がもう心の思うツボでメンタルの学びとしては後退😨なんだよ。
聞くところによると、ゴルフでもボールの行方(ゆくえ)を追ってしまってフォームが崩れてミスショットする「ヘッドアップ」とか「ルックアップ」というのがあるそうじゃない?
私はゴルフのことは専門家じゃないけど、まあ、そういったことと同じだと考えるとわかりやすいよ。
だから、将来のことは将来に任せて、今は「イライラする心💢」があるんだから、それを認めて、それからまず「自由」になることに取り組むのが最善だよ。
七海:
和尚、有難うございます。
私、ヘッドアップしてましたね😅
地道にやって行きま〜す。
和尚:
うん、それがいいよ。
では、「自由」の話に戻ろうか?・・・と思ったけど、お茶🍵の時間だな😃
一服しよう。
七海、そこに檀家(だんか)さんからいただいたお菓子があるでしょ?
それをお茶菓子に頂こう。
和尚:
さあ、これで腹ごしらえもできたし、「自由」ということに取り組めるよ!
「自由」というのはね、よく間違われるのだけど、
なんでも好き勝手にするのとはわけが違う
んだよね。
そういうのは「ワガママ」(=My Motherと言って・・・冗談冗談😁😱)といって、自分の心に縛られているから
本当は「不自由」
なんだよ。
七海:
私も「自由」って「好き勝手にすること」だと思っていたわ。
それは不自由なんですか??
う〜ん、まだピンと来ないですけどぉ〜。
和尚:
ああ、ピンと来ないままでいいよ。そのまま聞いておくれ😃
たとえはいくらでもあるんだけど、心に関しては「好き勝手する」っていうのは「自由」ということとは程遠いね。
たとえばだよ、七海はストレスで暴食したことはあるかい?
七海:
はい、もちろん😅 何度も・・・😅😅
和尚:
何度も・・・ね😃
そういうときの七海の心の動きはどうかな?
七海:
その時の心の動きですね。
ええと・・・・・・、
私の場合はそういう暴食する時って、
「ああ、もういい!! 思い切り食べちゃえ」
って思いますね。
これは私の
「好き勝手」
ですよね。でも、好き勝手した後、
「好き勝手しちゃいなよ。やっちゃいなよ。もうこんな状況なんだからさ」
と親しく自分の味方として寄り添っていてくれたように思えた私の「心」は「好き勝手」を遂げた直後に
「罪悪感の心」
に急変身します😱 まるではしごを外された様です😥
和尚:
有難う。わかりやすいね!
今、七海が説明してくれたところに多くの人が
「自由」と考えている「不自由さ」
の実体が現れているよね。
「自由」と思ってやっていることが、最終的に「心」に振り回されていることになっている全体像がそこに観えると思うんだ。
七海:
なるほど💡、自分が自分の心を説明しているうちに私も気づきました。
今まで
「好き勝手すること」=「自由」
と頭の中にしまいこんでいたので、そう急には変わることはできないかもしれないけれど、少なくとも「自由」ということにちょっと違う方角から焦点を当てていただいたお陰で、私の中で、もしかして誤って固まってしまったかもしれない
「自由」に対しての思い込みを避けることができ、より「自由」ということの本質に迫ることができそう
です。
まだまだ自分の中で考えて離乳食のようにドロドロになるまで噛み砕かないといけないと思っていますけど・・・。
それにしても人っていうのは本当に危(あや)ういものですね。
「自分はこのことについて間違いなく知っている」
と思い込んでいるわけですからね。
その思い込んでいることが合っていればまあ、それはもちろん良いのだけれど、今回の「自由」ということについては単なる私の思い込みになりかねない危険があったと思いました😅
和尚:
誤解を元に考えたり、行動したりすると「アレ? どうしてこうなっちゃうんだ??」という結果に陥(おちい)りがちだからね。
メンタルの面での「自由」ということについて話を続けるとね、
「自由」っていうのは自分の心を追い切れている状態のこと
と言えるんだ。
七海:
「自分の心を追い切れている」ですか?
和尚:
そう。
追い切れているということは
自分の心を観察し切れている
っていうことね。逆に観察し切れていないときというのは
自分が自分の心に巻き込まれているとき
ということ。
巻き込まれちゃうと「我を失う」から後で考えてみるとゾットする😱ことを言ってしまったり、やってしまったりするよね。
俗にいう「感情的になってしまった」という状態だ。
ゴルフをプレーしているときにそういう状態になっちゃたら大変だ。
そうだね?
七海:
もちろん!
私は、そうなるかならないかで勝負が決まるゴルフの試合に出場することを将来の目標にしているので、今、和尚から学んでいるわけです。
和尚:
そうだね。
ゴルフ好きの檀家の方から聞いた話だけど、ジャック・ニクラウスという名手が
ゴルフはメンタルが8割、技術が2割
と言っていたそうじゃない?
私はね、知り合いの中にもゴルフ好きの人が多いもので、これまでも何回かゴルフは心の状態に左右されるということを耳👂にしたことがあるんだけど、その割には多くのゴルファーはメンタルには手を加えずに技術磨きでボールを打ちまくっている印象があるんだよね。
そういった意味では両方をバランス良く育てて行こうとしている七海は新時代のプロゴルファーの卵とも言えるよね。
七海:
有難うございます。
和尚:
さて、話は「観察し切れていれば」観察してる心から自由になることが出来ていて、行動にそれが現れてしまうことを避けることが可能となるというところまで進んでいたね。
「観察」というと七海と私は一緒に順を追って話してきているからわかるんだけど、より一般的に言ったら、
「その心」に気づいているかどうか
ということだね😉
「自由」になるにしても、まずその「自由になる対象」に気づかないと話は始まらないからね。
たとえば、外界にある人とか花に気づくことは割とやさしいよね・・・その人がその気になればね。
だけど、多くの人は
自分の心にはなかなか気づいていないもの
なんだ。
「自/他」でいうと他人や花は「他」だよね。だから割と気づきやすい。だけど、「心」は「自」の領域とみなされているから慣れていない人には気づきにくいんだ。
だから気づかずに心が誘う「我を失ってしまった行動」に結びついてしまいがちなんだ。
心に気づいていないから、自分の行動に選択の自由がなくなって、後から冷静になって考えると「そうしたくなかった」行動を取らされてしまうというわけ。
七海:
そうすると「心に気づく」、その「気づき」が大切になってくるわけですね。
気づきが「自由」の鍵🔓になっているわけですものね・・・。
和尚:
そうそう。そういうことだよ。
七海:
それではその「気づき」というのはどうすれば養えるというか、身につけることが出来るんでしょうか?
和尚:
「気づき」というのは注意力のことで、実はそれは
私たち人間の本来のあるがままの能力
なんだ。
でも、私たちの心のなかでは意識している、あるいは意識していない「様々な考えごと」が展開されていて、言ってみれば「雲☁が太陽☀を隠すように」気づきが隠されてしまっているんだ。
その状態のことを私たちは一般的に
不注意
と呼んでいるね。
ほら、私たちが不注意で何かをやらかしてしまったとき、
「すみません。気づきませんでした😥」
な〜んて謝る時があるじゃない。「気づき」という言葉がそこに出てくるじゃない?
そのように知らず知らず私たちは「気づき」のことをちゃんと知っているものなんだよ。
「気づき」についてはもっとたくさんのことを話す必要があるし、メンタルを学ぶ七海にとってもとても大切なところなんだけど、今日は鐘を突く時間になっちゃったから、今度またいらっしゃい。
そこで取り上げることにしよう。
七海:
はい、わかりました。次回は「気づき」ですね。
またよろしくお願いしますね。
わかる人には「ああ、そうか」とすぐにわかる。
わからない人にもいずれ「ああ、そうだったか」とわかる。
須崎の『ゴルフに役立つメンタル』でした。
グッド・ラック👍
今回もお読みいただきまして有難うございました😃
また一緒に楽しみましょう!!