『神技を出したかったら・・・。 ゴルフメンタルのお話(3)』
須崎はこれまでしばしば疑問に思っていたんですよね。
初心者のお客様からトッププロに至るまでゴルフの不出来の理由としてメンタルを挙げるのに
「どうして、ゴルフ技術を教えてくれる先生はいるのにゴルフメンタルを教えてくれる先生がいないんだろう?」
「ゴルフの技術をアレほど熱心に習うのに、なぜ同時並行でメンタルを習わないんだろう。『実力が出しきれなかった』というコメントをよく聞くのに・・・」
という素朴な疑問を・・・。
確かにプロの中にはメンタルコーチを付けている選手はいるのかもしれませんが、ゴルフがジャック・ニクラウス、ボビー・ジョーンズ、中部銀次郎たちが言うように精神性の割合の大きいゲームであるならば技術と同じくらい、いやそれ以上の割合で精神のことを学ぶ必要がありますよね?
そう思いませんか?
これまでの時代は一つのことを効率化するために分解して、それぞれの持場を担当するエキスパートが担当して最大効率を上げるという仕組みが好まれていましたが、これからの時代は一つのことを丸ごと観るという仕組みでないと通用しなくなります。
医療などの分野ではもう既に外科/内科等の仕切りを外して一人の患者さんを連携して皆で診るという仕組みが増えつつあると聞きます。
そこで新時代にはプロ・アマを問わずゴルファーを育てるには技術・メンタルを
「丸ごと」観ることの出来るゴルフ先生
が必要だと思いまして、弟子入りできるそうした方も見当たらないので
それでは自分でやってみよう!!
と須崎は思ったわけです。
まあ、成功するかしないかはわかりませんが😅、あまり人がやっていらっしゃらないことをやるのは面白そうだということで・・・。
とあるお客様からも
「見えないものを観る事が大事だよ」(=商機はすでに「あるもの」の中ではなく、「まだないもの」の中にあるという意味)
ということを教えていただきましたからね♪
そういったわけでお読みいただいている企画もそうした試みの一つというわけです。
では、銀行マンと主夫とゴルフ先生しか経験していない須崎が精神のことをどうやって学んだのか?
前稿でも申し上げましたように私は今もかつても一度も宗教団体に属したことはありませんので精神のこともゴルフ同様、独学です。
<質問者>
「それでは今から精神のことを学ぶということですか?」
<須崎>
「いえ、違います」
私が精神(・・・といっても当時は「心」のことですが)のことを学び始めたのは約20年前(2018年現在)の1998年頃のことです。
当時、ニューヨークで銀行員をしていました私は仕事上のことで悩みに悩みまして、藁にもすがる思いで解決になることを探していたのですが、その解決の緒(いとぐち)をになったのが「心の力」というキーワードだったのです。
その後のことを話し出しますととても長くなりますので割愛しますが、今もなお精神に関する探究は続いていまして、この間に学んだことをゴルフメンタルに活用している・・・とこういう訳なんです。
ああ、こうした話を差し上げても皆さんの神技を引き出すことに何にも貢献しませんね。
スミマセン😅
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神さまが顕(あらわ)れる(神さまの場合ですから私はこの字を用います)のは
心が澄んでいるとき
です。
よく「無心」に行うとか言いますね。その「無心」のときです。「こうしたらうまくいくか?」、「いや、失敗しないか?」、「ああだこうだ」と考えていないときです。
そういってしまえば簡単なように思われるかもしれませんが、ここで1分だけでよいですからタイマーで計って「無心」になろうとしてみてください。
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さ〜て、いかがでしたか?
なかなか「無心」にさせてくれないことがわかるでしょうし、また「無心にならなければ」、とか「他のことを考えないように」、「考えよ出てこないで!」なんていうのはまさに「無心」ではありませんよね😅
昔の人が残した(意地悪な?)言葉に
「薬を飲むときに猿のことを思い出してはいけない」
という言葉があります。
猿のことを思い出してはいけないのですが、薬を手にした途端「猿のことを思い出すなよ」と猿のことを必ず思い出すというまことに意地悪😁な指示です。
それと同じように神さまに出現していただこうとしはじめた初心者に
「無心になればすべてうまくいく。神が顕れて私もいよいよ神技が出せるから無心になろう」
という考えが邪魔して神さまが顕れるその舞台を台無しにするという何ともしようのないことで心乱されるのです。
まあ、めげずに行きますよ。ゴルフの技術習得と同じです😁
<続く>