『神技を出したかったら・・・。 ゴルフメンタルのお話(2)』
前回の話の終わりに「心に一物(いちもつ)もないとき、ベストなスウィングになる」というボビー・ジョーンズの言葉をご紹介しました。
弓の名人でありました阿波研造もそのお弟子さんに
「弓を引いたら待っていなさい。お前が射るのではない」
という内容のことをおっしゃっています。
こう言われたとしますとほとんどの方が
「私が射らなかったら、射ることが出来ないでしょう?」
とか
「私が射るのでなければ誰が射るのですか?」
と師匠にお尋ねになるのではないでしょうか?
阿波研造のお弟子さんのドイツ人も同じように師匠に尋ねました。
人は長い間の習慣で
「考えてその考えにしたがって『自分』が行動する」
というふうに思っています。
たとえば「頭にきた」という想い(「頭にきた」というのは想念なのでこの字を当てています)を元に『自分』が選択して怒りの行動を取るというときのようにそのように行動することももちろんありますが、しかし
「考えによらず行動する」
こともあります。
たとえば家路につく際の一歩一歩は都度都度どこに足を置くなどということを私たちは「考えていません」が何百歩、何千歩という正確無比な脚の置き場の連続で私たちは「ただいま〜😉」と玄関に入ることが出来るわけです。
家から出かけて会社に行く。会社から家に帰るというこうした行為はあまりにも馴染み深く「当たり前」だと思っているので神技とは思いませんが、よく考えてみればコレはものすごいこと!!なのです。
弓の名人が的を間違いなく射るのと変わらないわけですからね。隣のお宅や見ず知らずのお宅に「ただいま〜😉」と誤って入らない。酔っていても帰り着く(着かない方もいますね😅)ということは・・・。
そうですよね?・・・神技です。
私たちはそういうことを毎日のようにやっているわけです。これが「568歩目の右足はどこに着地させて、いやそこは汚物があるから『そっち』ではなく『あっち』に下ろそう・・・」などと自分が計算して考えてやらなければならないとしたら、これは大変なことですよね。
この話だけで用意の整った方は
「ああ、なるほどね! ボビー・ジョーンズが言うように心を空にするとうまくいくんだわ」
とストン!と腑に落ちます。ただ、多くの方はまだ腑に落ちないと思います。それはそれでまったくかまいません👍
このゴルフメンタルのお話に付き合っていただくうちにご自分の経験と相まって
「ああ、そういうことだったんだわ!」
と嬉しくなる日😃がやってきますから。
ただし、こうした話に触れ、そしてお読みなったこうしたお話を心のハンガーに引っ掛けておくことが大切です。ハンガーに引っ掛けるということは簡単に言えば
「興味を持つ!」
ということです。まあ、このシリーズに興味を持ってお読みになっていらっしゃる方なら最後には神さまがお出ましになって神技を繰り出すそのメカニズムがおわかりになります。
ゴルフの上達と一緒で
情熱🔥と👀興味👂と練習💪
は必要ですよ。
ただ何となく待っていてもそのメカニズムに振れることは出来ません。
神さまは扉を叩く者に答えるのです。
「叩けよさらば開かれん」(マタイによる福音書 第7章)
神技といってもわからないし、難しそうだから、面倒だからと放っておいて技術だけに頼っていたらそれまでです。
ああ、そうそう。こういう言葉が出てまいりますと人によっては抵抗😣をお感じになるかもしれませんね。
どのレベルのゴルファーにとりましても
ご自身の能力を最大限に発揮した素晴らしいゴルフ
をするには神技が必須なのでその必要上神さまのことをお話しておりますが、須崎はどの宗教団体にも属しておりません。
ゴルフ同様、個人的に好きで😘探究してまいりましたことの内、「皆さまのためになる可能性がある」ところをお話させていただいております。
それでも神技とかツキのようなものは人間業を越えるものですので、どうしても哲学や宗教が取り扱う真理の領域に足を踏み入れざるを得ません。ご理解の程、よろしくお願い申し上げます。
<続く>