『ゴルフメンタル:「過去」・「未来」・「中ほど」』
メンタルを改善して役立てるにはまず私たちの心を観察することから始められるといいでしょう。
一般的に私たちは「私は悲しい」、「落ち込んだ」などと自分の心を表現はするものの、あらためて「自分の心を見つめること」をされる方は少ないと思います。
・・・と言いますか、普通は「心を見つめる」ということ自体発想として浮かんで来ないのですね。
どうしてかと言いますと、多くの人は無意識に
「自分」と「心」が一体になった状態だから
です。
ですから、そのことに「まったく疑問を持たない」、いや「疑問の持ちようがない」のです。
「自分」と「心」が一体になった状態を
心との同一化
と言います。
では、どうしてそのような「疑問の持ちようがない状態」から疑問を持つことができるのでしょうか?
それはどうしようもない困難などに陥って「このようなことはどうして起きるのか?」あるいは「どうしたらこのようなことから自由になることができるのか?」ということを探り始めることによってです。
◎ 中ほどの「美味しいところだけ」を・・・
さて、私たちが「心」を観察し始めますと、まあ、本当にいろいろなことが現れてきます。
その現れてくることは本当にさまざま、いろいろなので、今回は『「過去」・「未来」・「現在」という切り口』で「心」のことを見ていきたいと思います。
観察を通じまして「心」はその多くの時間を「過去」や「未来」に費やしていることがわかります。
「過去」の事柄に対する後悔の念/喜びの念、「未来」への不安/期待などですね。
人は「過去」の経験を覚えておいて来たる「未来」へ備えるように一つの回路を持っています。
この回路はたとえば
「飲んで酔っ払っても自宅に帰り着く」
という場合には役に立ちます。このように自分の家という固定された物理的なことにはこの回路は役立ちます。
しかし、この回路が例えば動きのあるもの・・・そうですね、生きた目の前の現実に適応しようとしますとうまく作用しないどころか、望まない結果となって返ってくることさえあります。
生きた目の前の事実は過去のデータの分析・分類では対応しきれないものです。なぜなら、目の前に来る現実というのは「いつでも新鮮」/「いつでも初めて」のものだからです。
そうした「新鮮なもの」に「古い蓄積」で応じるのはうまくいかないことは自明です。ですから、精神は本来、目の前の事実に応対するべく
「過去」でも「未来」でもないところにいなくてはいけない
わけです。
古人(※)はそのことを
※ 古人:昔の人。
「過去」でもなく、「未来」でもなく、その中ほどのところを
と教えてくださいました。
・・・そういうことがわかりましても、私たちは長い間、「過去」に心を向け、「未来」に備えるという癖が習慣づいていますので、落ち着きのない「心」はそう簡単には現実にとどまってくれません。
ゴルフのラウンド中にもありますよね。
「ああ、前のホールで右に曲げたからな」
とか
「このまま行けば100が切れるぞ」
とかいう「心」の動きですね。
そういう時、あなたの「心」は
「過去」や「未来」を訪ねている
のです。
そして、そういう時は目の前のことから「心」がお留守になっていますので、目の前のことに最高のパフォーマンスを発揮することができません。
「前のホールで右に曲げたから」ということに「心」が向いて、「次も右に行った」あるいは「逆に左に行き過ぎた」とか「突如流れが変わって100切りを逃した」な~んていうことは思い当たるところがおありなのではないでしょうか?
◎ 「心」を「心の定位置」にとどめるには
それでは「心」はどのようにしたら「過去」や「未来」にさまよい出なくなるのでしょうか?
それには、
自分の心が「過去」に行っているな/「未来」に行っているなと気づくこと
です。
気づいた瞬間にあなたの「心」は「過去」でも「未来」でもないところに戻ってきます。
そこが「心」の定位置であり、そのところに「心」がいるとき私たちは「落ち着いた心」と呼んでいるのです。
「座禅」や「呼吸を見つめること」はまさに「中ほどの美味しいところ」に「心」を置くための一つの方法なのです。
わかる人には「ああ、そうか」とすぐにわかる。
わからない人にもいずれ「ああ、そうだったか」とわかる。
須崎の『ゴルフに役立つメンタル』でした。
グッド・ラック👍
今回もお読みいただきまして有難うございました😃
また一緒に楽しみましょう!!