<プロゴルファー向け> メンタルを養う法話(15)

ゴルフに関係なさそうな話で知らないうちにメンタル強くなる新しい時代のメンタル強化法

 

『技』だけを磨いてもあなたの実力はフルに発揮されません。こちらの法話をお読みいただいて『心』もバランス良く磨いて実力をフルに発揮しましょう!!

 

※ はじめてお読みいただく方はまず『<プロゴルファー向け> メンタルを養う法話(プロローグ)』の記事からお読みいただくのが効果的です。上の記事名をクリックください。

 

 

🍀 ゴルフにどうして「法話」が必要なのか?(3)

 

今回も私が「なぜ『ゴルフ』『法話』という一見ミスマッチなものを持ち込んでいるのか?」ということについてお話をさせていただこうと思います。

 

前回、前々回のお話をお読みいただいていらっしゃらない方は是非目を通してみてください。

 

以下をクリックいただきますとそちらのページへ飛びます。

 

 

『ゴルフにどうして「法話」が必要なのか?(1)』

 

 

『ゴルフにどうして「法話」が必要なのか?(2)』

 

 

さて、今回はゴルフ」「武道」「法」についてお話をしたいと思います。

 

ゴルフ」「武道」「法」は密接に関連しあっています。

 

ゴルフ」「法」についてはここ2回でかなりお話してまいりましたのでよろしいかと思います。

 

それではゴルフ」「武道」はどこでつながるかといいますと「法」を通じてつながっています。

 

たとえば有名な宮本武蔵は巌流島(がんりゅうじま)の戦いで佐々木小次郎に勝利し、「勝負」としましては頂点に上り詰めましたが、それでもどこか満足できずにその後、座禅を組んで心境を深めました。真の座禅は「法」との融合をもたらします。

 

また三代将軍徳川家光の頃に幕府の剣術指南役であった柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)は「法」のことについて沢庵和尚から教えを受けています。

 

合気道の創始者植芝盛平(うえしばもりへい)も(合気道をやっていなかった)宗教家の五井正久(ごいまさひさ)を「この人はわかっている人」だと大いに認めて、お互いに行き来していました。

 

この三つの例からもおわかりの通り、「武道」の中に横たわっている「法」をつかむために座禅やお坊さんといった「宗教」の力を借りたり、「武道」「宗教」の道を歩んだ人たちが異分野ながらも「お互い『ある点』を通して通じ合う」ということがあります。

※ 敬称略、以下同様。

 

この「ある一点」を一般の人はつかまずに生きているのですが、どの分野に置きましても「道を極めよう」とするのであれば特にその「ある一点」をつかむ必要があります。もちろん、一般の方でも本来は「自分の人生」という道を極めるわけですから、同様に必要なことではあるのですが・・・。

 

さて、今回のメインの一つであります「武道」の話を続けましょう。「武道」のうち、たとえば「剣道」を例に取ってみましょう。「剣道」にも基本がありますね。「足運びはこうして行う」、「面を打つ動作はこうして行う」、「小手を打つ動作はこうして行う」とか「胴を打つ動作はこうして行う」というような基本が・・・。

 

基本はもちろんのこと大切になります。その上でのことですが、基本だけでは実践に対応できません。基本で「AのときはBをする」ということがあったとします。しかし、実践ではAだけが来るわけではないですし、仮にAが来ても相手も基本をマスターしていれば「相手がBで返してくる」ということは知っているわけです。

 

本番は常に「応用編」なので相手は手」でやって来ます。

 

 

 

それでは

 

その基本や教科書に載っていない

 

手」

 

どのように対処すればいいのでしょうか?

 

 

 

 

「武道」の稽古を積むのはこの「対応能力」の向上を図るためですね。ここで、一般の方がしばしば考え違いしてしまわれるのは

 

 

 

「稽古を積めば

『このときはこうすれば良い』

という解決策を得られる」

 

 

 

とお思いになるということです。これでは基本のときに出てきた「AのときはBをする」ということと同じバージョンです。こういう「◯◯のときは☓☓のことをする」というノウハウたくさん仕入れても、「応用編」の本番では「さらに別のパターン」が出て来るのでいつまでたってもキリがないことになります。

 

本番でしっかり「対応」出来るには

 

 

 

「👀👃観察能力👂👅」

 

 

 

が必要です。状況を「正しく認識する」には鋭い観察能力が必要になります。状況の認識が間違えば、「その状況に対して」ではなく、「その見誤った状況に対して」「一手」が出てしまいます。

 

これが「対処法を誤った」😥ということですね。

 

人は鋭い観察能力が生じている状態になっているときには・・・別の言い方で言いますと、不注意になっていない状態になってあるときには

 

 

 

 

勝手にその場に対処できる

 

『✨最高の一手✨』

 

をくりだすことが出来る

 

 

 

のです。

 

 

 

『そこ』こそが求める『こと』であり、

 

『たくさんのノウハウを詰め込むこと』

 

ではありません。

 

 

 

いまお話しました勝手に出る」ということがものすごく大切でして、勉強したり考えることなどしなくてよいのです。

 

 

 

「勝手」という字自体が

 

「勝つ」「手」

 

というように自らで

 

説明してくれています

 

 

よね😃

 

「たくさんのノウハウを詰め込むこと」は逆に『観察能力』の低下」を意味します。ノウハウを含めました

 

 

 

 

「❝『もの』を持つ❞ということは

 

その『もの』に対しての

 

『愛着』『こだわり』を持つ」

 

 

 

ということでして、「愛着」「こだわり」ができるということは「いくら自分で『ちゃんと』認識している」と思われましても、偏(かたよ)りのある認識」となりまして「あるがままの状況を認識することが出来ない」状況にあるということになります。したがって、その状況に対する「一手」を誤るということになります。

 

ゴルフ」「武道」「法」につきましてもう少しお話をしたいのですが、今回は長くなりましたのでこのあたりにしまして、次回また続きをお話させていただきたいと思います。

 

Don’t Worry. Be Happy🍀

 

今回もお読みいただきまして有り難うございました🍀

<2019年8月21日法話>

 

 

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