<プロゴルファー向け> メンタルを養う法話(12)

ゴルフに関係なさそうな話で知らないうちにメンタル強くなる新しい時代のメンタル強化法

 

『技』だけを磨いてもあなたの実力はフルに発揮されません。こちらの法話をお読みいただいて『心』もバランス良く磨いて実力をフルに発揮しましょう!!

 

※ はじめてお読みいただく方はまず『<プロゴルファー向け> メンタルを養う法話(プロローグ)』の記事からお読みいただくのが効果的です。上の記事名をクリックください。

 

 

🍀 新しい時代の「悪」を「善」に変える法(4)

 

今回もここのところご紹介している傾向に沿ったお話をご紹介させていただきたいと思います。

 

今回は『愛でメシが食えるかって? 愛でこそ食えるんだよ』(金城幸政著 廣済堂出版 P93~97)からそのままご紹介させていただきます

 

ちなみにこちらの金城さんはゴルフ⛳愛好家でいらっしゃいまして、ご自身でもゴルフを教えていらっしゃいます。

 

 

精神の栄養になる昔話】

 

 僕の母方のおじいちゃんは、愛に生きた人でした。ここでは、愛とお金にまつわるおじいちゃんのエピソードをひとつ紹介します。

 

 おじいちゃんは、戦前、沖縄のというところで、山を5つくらい所有するほどの大地主でした。そこで豚や牛、馬などを飼い、経済的に苦しい人たちに家畜の世話や、畑を手伝わせることで、お給料を渡してみんなを助けていました。

 

 そんなある日、自分の馬が盗まれてしまいました。

 

 でも田舎なので誰が盗んだかすぐにバレてしまい、警察が馬と若い盗人を連れて、おじいちゃんのところにやってきたのです。

 

 警察は「これ、あんたの馬だよね」とおじいちゃんに聞きました。

 

 でもおじいちゃんはすぐには答えず、盗人に「なんで馬が必要だったの?」と問いかけました。

 

 盗人はうなだれながら「馬が1頭いれば、畑を耕せるし、家族を養える・・・」と言いました。それを聞いたおじいちゃんは、警察に言いました。

 

 「これは、僕の馬じゃない」

 

 すると、盗人は警察に向かって「なあ~、言っただろ。俺は盗んでない。もともと俺の馬だって言ったじゃないか!」と横柄な態度になり、馬を連れて帰ってしまったのです。

 

 警察は困って「そんなことないでしょ。あなたのところの馬でしょ」とおじいちゃんを説得しましたが、おじいちゃんは「いやいや、僕の馬じゃない。あいつの馬だ」と取り合わず、そのまま時が過ぎました。

 

 戦後、役所が焼けたため土地の登記簿を失い、おじいちゃんの持っていた土地は半分くらい国に没収されてしまいました。

 

 そこで、残された土地は次男坊に任せて残りの家族全員で那覇に移住し、また新たな生活をはじめることになりました。

 

 30年余り経って孫が成人して結婚することになり、相手の家族が挨拶にくるというので、おじいちゃんも立ち会うことになりました。

 

 相手方の家族が家にきて「はじめまして」と挨拶をしようと顔を見ると、なんと、その相手側の父親が、馬を盗んだ男だったのです。

 

 2人は顔を見合わせてハッとなり、相手側の父親は後ろに下がって土下座しようとしました。

 

 けれど、おじいちゃんは「頭を下げるな。あげなさい」とやさしく諭しました。

 

 相手側の父親は「あのときウソをついていたことがずっと心に引っかかっていて・・・・・・。いつか謝ろうと思いながら、今日になってしまい、申し訳ない・・・・・・」とたどたどしく言うと、おじいちゃんは、彼に言いました。

 

 「何も言うな。今日はめでたい席だから。祝福すべきときは祝福の話をしよう。ところで、僕が聞きたいのはひとつだけ。あのあと、ちゃんと子どもを育てられたんだね?」

「はい。あの馬のおかげで、子どもたちをみな立派に育てることができました」

 

 父親がそう答えると、おじいちゃんは、「ならその馬はあんたのもんだ。それでいいって。だから謝ることはない。それで子どもを育てられたのなら、僕も本望だよ。もう馬の話はするな」

 

 そう言って、それ以上馬の話を出すことはなかったそうです。

 

 その後、その親子がおじいちゃんにずっと恩返しを続けたのは、言うまでもありません。

 

 相手側の父親は、おじいちゃんの生き様に感動し、僕たち家族に「あんたたちのおじいちゃんは、何も言わないかもしれないけれど、本当に素晴らしい人なんだよ。僕は昔、あんたたちのおじいちゃんのところから馬を泥棒しておいて、盗んでいないとウソをついた。なのに、こんな僕に慈悲深いしをしてくれた。本当に立派なおじいちゃんなんだよ」と教えてくれたのです。

 

馬という財産を取られたにもかかわらず、おじいちゃんは盗んだ相手に愛を送りました。

 

 馬は差し上げたのだから、自分から泥棒になるな。同じ親だから、生きるために背に腹はかえられないことぐらいわかる。僕は愛を送ったんだ。自分が罪人であることをやめれば、僕からの愛を受け取ったことになる・・・・・・ということを伝えたのです。

 

 おじいちゃんの意図を汲んだ相手側の父親は、自分を許し「あのときは馬をいただいて、ありがとうございました」と愛を受け取ったのです。<後略>

 

 

≪須崎の若干解説≫

 

今回も含めまして似た傾向のお話を4話ご紹介させていただきましたが、いずれもキリストの教えの一つである「告訴して下着を取ろうとする者には上着をも取らせよ」という内容の言葉を地で行っているということがおわかりいただけると思います。

 

この4話の主人公がキリスト教の信者であったという話は聞きません。ですから、この教え、つまり「法」は時代を越え、場所を越えた普遍的な法則であることがおわかりいただけると思います。

 

ということは、この教えは本当は何も「新しい時代の新しいなどではないのです。

 

ただ、時代の波長がこうした「法」に合わなかったので、私たちがこうした法を耳にすることは少なかったですし、まして実戦となるとなかなか出来なかったのだと私は理解しています。

 

今後時代が進んで行くとともに私たちはこうしたお話を耳にする機会が増え、また私たち自身、こうした場面に遭遇した時にはこうした法に沿った対応をしやすくなるでしょう。

 

 

Don’t Worry. Be Happy🍀

 

今回もお読みいただきまして有り難うございました🍀

<2019年8月18日法話>

 

 

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