『「丸ごと」シリーズ 須崎が語るジャック・ニクラウス』

【テーマ:ゴルフ雑談】

このテーマでは皆さんが、ゴルフ仲間や接待先、あるいは上司の方とゴルフ談義が出来るように「ちょっとしたネタ」をお話しようと思います。お楽しみください。

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須崎が学んだ「そのこと」についての知識を皆さんと共有する場の「まるごと」シリーズ

本日は帝王と呼ばれるゴールデンベアー、ジャック・ニクラウス選手について学びましょう。

本日のお話をお読みいただければジャック・ニクラウス選手については一般的レベルでは十分(過ぎるかも?)ですよ♪

それでは早速、【全般】から見て行きましょう。
 

【全般】

ジャック・ニクラウス(以下 ジャック)は見方が別れるかもしれませんが、今もってゴルフ史上最高のゴルファーと言ってもいいでしょう。

ジャックは1962年にプロ入り。

何とその年のメジャー大会全米オープンで初優勝✨とすぐに頭角を現しますが、初めは当時ゴルフの超人気スターだったアーノルド・パーマー選手(愛称:アーニー)の敵役(かたきやく)の「悪役的存在」でした。

現代のゴルフ人気はアーニーとジャックで土台が築かれたといっていいでしょう。

その後、ジャックはタイガー・ウッズ選手に次ぐPGAツアー73勝を挙げますが、その内の18勝がメジャー大会で、これは現在でも最多です。

マスターズ、全オープン、全英オープン、全米プロの4大会の全てに優勝することをキャリアグランドスラムと言いますが、ジャックは1966年に達成しています。

その後、タイガー・ウッズ選手が2000年に達成するまで34年間出なかったことをみても、それがいかに大変なことであるかがわかるでしょう。
 

【須崎の脳裏に残るエピソード】

◎ ジャックがまだ学生だった時に中部銀次郎氏(※)が世界アマチュア選手権でジャックを見た時のことを話されています。

※ 日本を代表する名アマチュアゴルファー。後日こちらのコーナーで取り上げる予定です。お楽しみに!

当日、比較的良い成績で上がった中部氏はクラブハウスから18番ホールを上がってきたジャックのプレーを初めて見ます。

そこで、ジャックはわずか数メートルにつけたバーディーパットを外し、返しも外して3パットのボギーを打ちます。

それを見た中部氏は「噂のジャックと言ったってあの程度か」と一瞬思われたそうですが、後で、そのパットを外して「66」だったことを知って大きな衝撃を受けられたそうです。

◎ 汽車が近くを走るコースで開かれた、とある全英オープンでの優勝争いのこと。優勝争いも終盤に差し掛かったジャックのバーディーパットの際によりによって、その時に踏切が鳴り出しました🎵🎵。

キャディーは「なんでここで鳴るんだよ!!」と思いました。

ジャックはそのバーディーパットを無事に沈めたのですが、キャディーがジャックに「踏切の音は大丈夫だった?」と聞いたところ、ジャックは「踏切?? えっ???」・・・と。

そうです。

ジャックはそこまで集中していたのです。

◎ 1980年のバルタスロールゴルフクラブで行われた全米オープンで、青木功選手と4日間同じ組でラウンドし、最終日は優勝争いを繰り広げました。

その最終日、最終ホールでまだ青木選手の最終パットが残っていた時にジャックの優勝で興奮したギャラリーがざわめくのをジャックは厳しい形相で制止し、青木選手に気遣いを示しました。

❤感動的でした❤

◎ 1986年のマスターズをジャックは46歳で迎えました。世間では「もう昔の人」という見方がされていまして、同大会でも「姿を見せることに意義がある」という状況でした。

ところがフタを開けてみると最終日を迎えるにあたって優勝を狙えるトップと4打差につけました。

最終日に猛チャージを見せ、17番では当時を知るゴルファーであれば一度は目にしたことのある有名なバーディーパットのシーンでバーディーをもぎ取りました。

この週ニクラウスの手には「レスポンス」という見慣れない大きさのパターがあり、大活躍しました。

後ほど、道具の項で見てみる👀ことにしましょう。

◎ ジャックは有史に残る1番アイアン(※)の名手でした。

※ 1番アイアンにつきましては『1番アイアンはどこへ?』をご参照ください。

◎ ジャックに憧れた選手は多く、日本ではジャンボ尾崎選手や中嶋常幸選手が有名で、海外ではタイガー・ウッズが憧れていたグレッグ・ノーマン選手が有名です。
 

【ジャックからレッスンしてもらおう】

◎ ボール位置について

ジャックはドライバーからサンドウェッジまで全てのクラブのボール位置は「左足かかとの内側線上に置くスタイル」の選手です。

ショートアイアンでは目標の若干左を向くオープンスタンスを採用しています。

◎ 飛ばしのコツ

ジャックは日本のトーナメントに出場した時に、普通のホールと飛距離を必要とするホールではドライバーの飛距離が40ヤードも違っていたそうです。

そのコツを聞かれてジャックは次の通り答えています。

「ここでは飛距離が必要だ」と思うことで十分

・・・と。

誤解のないように解説させていただきますが、「飛距離が必要だから力む」のではありません。上記のように思ったら、「普段通りに振る」ということです。

◎ 1日にワンポイントだけ

ジャックはラウンド中「ゴルファーはせいぜい1日に一つのことしか考えられないので、私は一つのキーポイントしか持たない」と言っています。

アマチュアゴルファーは日に一つどころか、1回のスウィングで5個も6個も・・・という方も少なくありません。

意味が無いので、今後はジャックを見習って「1つ/日」としてみませんか?

世界最強のゴルファーでさえ、「1つしかできない」のですから。
 

【ジャックのギア】

◎ マグレガー

ジャックは長い間マクレガー社のクラブを愛用し、オーナーにもなりました。

最盛期はドライバー、スプーン、アイアンが1番〜SWにパターはメチャクチャ高価なジョージ・ロー ウィザード600でした。

◎ パター盗難

バッグの中身が全て名器だったのですが、とりわけパターがそうで、何と日本に来日した際に戸塚カントリー倶楽部でそのパターが盗まれてしまいます。

ジャックは「返して欲しい」とメッセージを発し、数日後にコースでアルバイトをしていた学生から返ってきました。

ジャックは「寛大な対応をお願いしたい」とコメントしました。

◎ J`sメタル

ジャンボ尾崎選手とテレビマッチに臨んだジャックはジャンボのドライバーショットが自分を毎回はるかにオーバードライブするのを目の当たりにして、ジャンボが開発、そして使用していた名器J`sメタルのドライバーをジャンボに注文します。

「ジャンボのシャフト(XX)では硬すぎるから、シャフトは少し柔らかめで・・・」と言いながら。

ドライバーを受け取ったジャックはアメリカで飛距離を伸ばし、しばらく愛用していました。

◎ ゴールデンベア社

ツアーから身を引くに連れて、自分のブランド「ゴールデンベア社」のクラブを使用しています。

最近ではウッド類をテーラーメイド社の物を使用している姿が見られます。

ゴールデンベア・・・皆さんもポロシャツやセーターなどで金色の熊のエンブレムをご覧になったことがあると思います。

◎ レスポンスパター

先ほどお話しました通り、1986年のマスターズはジャックの奇跡的カムバックによる優勝でしたが、その際に彼が手にしていたのがマグレガー社の「レスポンス 615 ZT」というパターでした。

彼の優勝でこのパターが世界中で売れに売れました。

日本人はどうもこの手の異型のものは好きでないらしく、それほどでもありませんでしたが・・・。

末尾の写真がそのレスポンスパターです。

この写真のものは後継機種ですのでカラーがブラックですが、ジャックがマスターズ優勝時に使用していたものはシルバーカラーのものになります。

左手の写真をご覧ください。このパターは一般のものと比較しまして、

とてつもなく大きい

んです。

大きいので、テニスのデカラケよろしく、芯が広くなるという狙いです。

日本では「何でも取り入れてみる」片山晋呉選手が同タイプのメガサイズのピン型パターを使用していたことがあります。

お楽しみいただけましたでしょうか?

本日もお付き合いいただきまして有難うございました👋